白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

8年分の安心

小学校で「学習・生活についてのアンケート」みたいなものが行われたそうで、我が家の小2長男の回答も先日フィードバックされた。

 

長男が生まれてから、もうすぐ丸8年。

 

振り返ると、3~4歳ぐらいまでは特に、口うるさくいろいろ言ってしまっていた。ご飯を食べない、好き嫌いが多い、お風呂に入りたがらない、などなど、子どものいる親なら誰しもが閉口しつつやりすごしていく日々の様々な難関に対し、私は真っ向から立ち向かっていた。

 

今考えると、なんでもっと軽く受け流せなかったのだろうと思う。当時は夫も出張続きでずーっとワンオペで、私がきちんとしなければと思っていたのもあるけれど、長男の立場になってみればお父さんという逃げ場もなく、窮屈で大変だったと思う。思い返しても反省しかない。

 

不幸中の幸いだったのは、長男の我が半端なく強かったことだ。何を言われても馬耳東風。当時はその強情さに困り果てていたが、今考えると長男のその性格おかげで、私は彼を支配せずに済んだのだと思う。

 

長男が5歳くらいになると、2歳下の次男との性格の違いもはっきりしてきて、なるほど個性に合わせた対応というのはこういう感じだなというのが私にもわかってきて、そこでようやく私は長男への接し方を改めることができるようになった。今ではもう、余程のことがない限り、叱ることはない。淡々と話して聞かせて終わりなので、とても楽になった。

 

でも、当時の自分の余裕のなさや、そのために長男を心理的に追いつめていたのではないかという後悔は、今でもずっと心に残っている。今どんなに穏やかな対応をしていても、過去をやり直すことはできない。あの頃の記憶によって長男の自尊心が下がったままになっていたらどうしよう、というのは、長男への対応を改めた後もずっと気がかりだった。

 

そんな懸念を、今回のアンケートへの回答が和らげてくれた。

長男の回答が、

    • 自分にはよいところがある
    • 家族に大事にされていると思う
    • 自分でやると決めたことは、やりとげられると思う

など、自己肯定感にあふれたものだったからだ。

 

もちろん、これだけで昔の自分の対応がチャラになるわけではない。でも、長男が健やかに育っていることの証を少しだけ感じられて、涙が出るほど安心したし、うれしかった。

 

自分にはよいところがある。家族に大事にされている。小学生のうちは、それさえ感じられていればいいんじゃないかなと思う。長男のその気持ちを少しずつでも増やしていけるようなかかわりを、これからも続けていきたい。

 

過去からの激励

晩ご飯の後、洗濯物をたたんでいたら電話がかかってきた。新卒で勤めた会社の先輩からだった。

今では年賀状のやりとりだけになっている先輩からの電話。年末だし、たぶんあの会社の忘年会でもやってるんだろうな、と思って出ると、やっぱりその通りで、とても久しぶりに話す当時の同僚たち(主に先輩、全員男性)と代わる代わる話すことになった。

 

最近会った人でも10年ぶり、会社を辞めて以来の人だと18年ぶりとかなので、話すことなんてない。全員に「ご無沙汰してます」と言っていたら、横で次男が「何回同じこと言ってんのよ!」とツッコんできた。

 

相手にも当然話題なんてないので、みんなに同じことを聞かれる。

今どうしてるの?東京にいるもんだと思ってたよ、いつそっちに引っ越したの?

そんな中で、意外だったのは全員に「仕事は何やってるの?」と聞かれたことだった。

仕事はしてないわけではない。でも、夫が会社をやっててその手伝いをしています、と言うのも説明が長くなるし、何の会社?とか聞かれるとめんどくさい。だから仕事はしていないと答えた。すると全員が驚き、へえー専業主婦かあ、意外だね!と言った。

 

そうか、仕事をしていない私は、みんなにとっては意外なんだ。自分ではもう、夫の手伝い程度の仕事と家事と子育てだけをする今の生活に慣れすぎていて、意外だという反応こそが意外だった。

 

先輩たちと一緒に働いていた20年前、働き方改革なんて言葉はまだなくて、毎日深夜まで働くのがむしろいいこととされるような時代だった。私だけではなく、そして私が勤めていた会社だけではなく、世の中全体がそんな感じだった。夜中の3時にメールを送ったらすぐに返信が来た、なんてこともよくあった。そんな中、教育体制の整っていない中小企業に新卒第一号で入った私にできることは、必死に食らいついて何とか仕事をこなすことだけだった。

 

その頃の私を見てきた人たちだから、がんばらずにのんびり暮らしている私の姿は意外なのかもしれない。あるいは、彼らの周り(東京)では共働きが当たり前だから意外だという、ただそれだけなのかもしれないけど、いずれにしろみんなからの意外だという反応は、私にとっては新鮮で、自分の身の振り方を考えるいいきっかけになった。

 

今の生活も、それなりに忙しい。手伝い程度の仕事と言っても時間は取られるし、育児はワンオペで自由な時間は少ない。でもそんな暮らしの中でちょこちょこ余る30分とか1時間とかの時間を有効活用できていないことに、長年へこんできたのも事実だ。今だって、これでいいのかなと思うことはしょっちゅうある。そんな自分の心を見透かされたような気がした。仕事をしていない状態に不満があるのではない。人生をがんばりきれていないことに不満があるのだ。

 

実は、同じような逡巡を経て、昨年翻訳の勉強を始めていたのだが、時間のなさを理由に最近あまり真面目にやっていなかった。やっぱりがんばろう。がんばって、夫の手伝いではない仕事、自分だけの仕事ができるようになりたい。

電話を切り、子どもたちを寝かしつけながらそう思った。

最近読んだ本

仕事が落ち着いたので、久しぶりに本を読んだ。

独身の頃、土日は開店と同時に本屋に行って文庫本を数冊買い、そのまま喫茶店とか公園で夕方までずっと、長ければ8時間ぐらい本を読んでいた。今は土日にそんなことできないし、平日もなんだかんだと仕事や家事があってできないけれど、たまに仕事が片付くと、1日だけ家事を投げ出して朝から本屋に行き、喫茶店で読む。3時間くらいの自由だけど、あの頃を思い出すことも本を読むことも私にとってはとても楽しい。

 

以下、読んだ本。

 

1.『一汁一菜でよいという提案』土井善晴新潮文庫

うちの長男は少し敏感なところがあって偏食をしがちで、しかも物言いにまだ気をつけられないので、毎日毎日出された食事に平気でけっこうな文句を言う時期があった。確か2歳ぐらいから始まって、最近も頻度は減ってきているものの、まだ時折文句は出る。

それで私も長らく精神的に参っていたのだが、この本ではいろいろな箇所で「家庭料理は作る過程そのものが愛である」「子どもは出された料理に文句を言うこともあるだろう(そういう生き物だから)けれども、親が自分のために料理をしてくれていた光景、その時の包丁や煮炊きの音、匂いは、自分が大事にされたという感覚として必ず子どもの中に残る」みたいなことが書いてあり、とても救われた。

子育て中、特に偏食のある子を育てている人におすすめ。

 

2.『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキ/文春文庫

私のガソリン、オードリーのオールナイトニッポンで以前活躍していた元ハガキ職人、ツチヤタカユキさんの自伝。完璧な青春小説だった。わかる、と言ったら簡単にわかるとか言うなボケとツチヤさんを怒らせそうだが、わかるなあ、一生懸命やってても、結局は恥ずかしいぐらいのおべっか使うやつとか、人脈だけで何とかしようとするやつの方が先にうまくいっちゃうんだよね、わかる、20代の頃同じこと思ってた、と心の中で何度も頷きながら読んだ。

1月には映画も公開されるので、観に行きたい。

 

3.『発達障害に生まれて』松永正訓/中公文庫

自閉症の息子さんとの22年間を振り返るお母様へのインタビューを、小児外科医である著者がまとめたノンフィクション。同じく子どもを育てる者のひとりとして、読んでいるあいだじゅう胸が痛かった。それ以外のことは言えない、簡単にこんなところに内容をまとめてはいけない本だった。いろんな人におすすめしたい一冊。

 

毎年、今年は何冊読めるか絶対に数えるぞと勢い込んで新年から読書記録をつけるんだけど、いつも2月ぐらいで書くのを忘れて12月になる。自分で言うのもなんだけど、毎年毎年なにをしているんだ。もう今年は読書記録なんてつけない。100か0かの極端思考上等である。

 

来年も家族みんなが健康で、こうやってたまの休みに好きな本を読めたらそれ以上の幸せはないな。

240円の幸せ

お母さん、スイカゲームって知ってる?

お母さん、スイカゲームって面白いんだよ。

 

そう言ってスイカゲームの購入をせがむ子どもたちに「スマホゲームはだめだよ、Switchがあるでしょ」と言っていたら先日、スイカゲームのSwitch版があると知り、勢いでダウンロードした。

子どもたちは歓喜。なんせゲームを含めおもちゃを買ってもらえるのは誕生日だけなので、まさかSwitch版を見つけたその日に買ってもらえるとは思っていなかったのだ。

イカゲーム、240円。安ければ誕生日じゃなくても買っていいのか、だったらいくらまでなら誕生日じゃなくても買っていいのかの線引きはどうするのか、とか数年前の私であれば考えていたと思う。でももう、240円に悩む時間がもったいない。だって私は44歳、健康寿命まであと30年しかないのだから。

 

そうやって購入したスイカゲームはすぐに家族団欒のメインコンテンツになった。

昨日は次男5歳が最年少にして我が家の最高得点を叩き出し、高ぶる自己肯定感を抑えきれずに顔面を得意気で満たしていた。ゲームに疎い私も昔からこういうテトリス系だけは好きなので、「お母さんにもやらせて」、「次お母さんの番ね!」と食い気味に参加し、「お母さんって意外とゲーム好きだね」と子どもたちに見守られながら次男より1000点低い得点で喜んだ。

 

ちょっと前までは、こういう時間を無駄だと思いがちだった。理想の自分というあやふやな像があり、それに到達するために、子どもたちがゲームに気をとられている間に私は私を高めねばならない、という謎の考えに囚われていた。

でももうやめた。人生は今だ。人生は今日だ。理想の自分を追求するのも結構だが、そのために今をないがしろにしたり、焦燥感から生じる不機嫌を抱えて過ごしたりするのは間違っている。不安になった時こそ、今を大事に、まずは今日を幸せに生きた方がいい。

 

我が家ではゲームは土曜日だけと決まっている。

来週の土曜日もスイカゲーム大会しようね、と言いながら家族で過ごす今日からの日々を大事にしようと思う。

ブログにまつわる郷愁

家業の手伝いでホームページを作ることになった。

 

といっても私は、そういう仕事をしているわけでもなければ過去にホームページを作ったことがあるわけでもない。他の兄弟より時間があるというだけだし、その時間というのも日に2時間かそこらのものだ。それでも、78歳の父と75歳の母という、まごうことなき老夫婦であるにもかかわらず、いまだに仕事が生きがいである両親に対し、自分にできることがあるならやろうという気持ちで引き受けたのだった。

 

そんなこんなで先日、母とホームページの件で電話をしていたのだが、話はどんどん脱線し、「10年以上前にうちの会社に勤めていた○○君のブログが面白いから読んでみたら」という話題で電話を切った。そして今日、そのページにアクセスすると、2004年から書きはじめたらしきそのブログには、決して読みやすいわけではない、けれども当時のその方の思考や感情が整理されていない状態で流れこんでくるような、切羽詰まった文章がたくさんつづられていた。

 

ああ、ブログってこれでいいんだよなあと思った。

 

おもしろいことを書こうとか、ためになることを書こうとか、ついつい余計なことを考えて、最後はそれにがんじがらめになって放置してしまう、それがここ数年の自分にとってのブログだった。でも、それこそ75歳や78歳になったとき、ああ40代の頃の自分はこんなことを考えていたんだなと振り返る材料にさえなれば、それで十分ではないか。そう思った。

 

ホームページ作り、がんばろうと思う。

子どもと映画

マリオ大好きな子どもたちを連れて、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観に行ってきた。

特に繁華街でもない街のイオンの映画館。去年の夏にパウ・パトロールの映画を見に行った時はガラガラだったその場所に、子連れの客がひしめいている。ポップコーンの売店に長蛇の列ができている。3歳と1歳の頃からコロナ禍だった我が家の子どもたちにとって、こんな人ごみを歩くのは片手で足りるほどしか経験したことがないはずだ。私と手をつないでいた次男の指にぎゅっと力が入る。5歳ながら、これは親とはぐれたらまずい状況だと理解して強めに手を握ったらしい。

事前にネットで予約していたチケットで入場手続きをした時にはもう、上映前の予告が始まっていた。暗い劇場内で緊張しながら座席に向かう次男の姿がかわいい。私と夫で子どもたちを挟むように座る。

いよいよ本編が始まった。怖い描写はまったくないのだが、音の大きさとテンポの速さにびっくりしてしまうらしく、次男は隣にいる私の手を離さない。そして中盤、映画のストーリーはネタバレになるので伏せるが、それまで私の手を握りながらも面白い場面では声を出して笑っていた次男が、次第に真顔になり、クッパドンキーコングが出てきて子どもにとってはちょっと怖いかなという展開になった瞬間、うえーーーん!と大声で泣き出してしまった。我慢の限界という言葉を映像にしたらこんな感じだよね、という泣き方だった。私は大丈夫大丈夫と言いながら、急いで次男を連れて劇場の外に出た。

かわいいなあ。怖い映画を観て泣いてしまうなんて、親からするともうかわいい以外の感情は出てこないわけだが、次男本人にとってはやはり恥ずかしさやふがいなさが募るらしい。気分を変えるために映画館を出て下のフロアの本屋に行っても、次男はうつむいたまま、黙って手を引かれて歩き続ける。何かほしい本があったら買ってあげるよと言っても、鼻水をすすりながら頷くだけで何も言わない。

しばらく歩いてから空いていたベンチに座って抱っこしていたら、おもむろに「こわかった」「もうえいがみない」と言う。そうだよねえ、お母さんも子供の頃、グレムリンっていう映画に連れていかれて何年もずっと怖い思いしたよ。ごめんね、マリオの映画なら怖くないと思って、楽しいと思って連れていったんだけどねえ。そんな会話をしながら映画が終わって夫と長男が出てくるのを待った。

自分が子どもの頃に観たグレムリン、どんな話だったのかはさっぱり覚えていないのに、とにかく怖かったということと、映画の最後に流れた「あなたの家にもグレムリンがいるかもしれない」的なナレーションだけ鮮明に覚えている。当時は母に対して「なんでこんな怖いものを見せたんだろう」と不思議に思っていたが、ネットもまだない時代、母はきっとそこまで怖い話だとも思わず、たまには奮発して映画でも見せてやろうと張り切って連れていってくれたのだと思う。

ごめんね次男。しばらく映画はやめておこうと思う。

りんごジュースの思い出

子どもが寝入る瞬間の、目を開けていられなくなってまぶたが閉じていく様を見るのが好きだ。おでこをなでると現れる、生え際に並んだ細いうぶ毛が好きだ。赤ちゃんの頃から変わらない、三角にとがった上のくちびるも好きだし、その三角に対してまっすぐすぎる下のくちびるも好きだ。その口が寝ている時にもぐもぐ動くのを見ていると、このくちびるともぐもぐ動くのは何歳まで見られるんだろうと切ない気持ちになる。

今日は次男が風邪をひいて幼稚園を休んでいて、先ほど早めの昼寝に突入した。コロナ禍ではちょっと鼻水が出ているだけでも休まなくてはいけなかったし、ひとり休んだら兄弟も連帯責任で休みなさいというルールだったので、本格的に具合が悪くて休むというのも、兄弟のどちらかひとりだけが休むというのも、私にとっては初めてのできごとだ。

鼻水だけで休んでいた頃は、休んでいても元気を持て余して家じゅうを走り回っていたので、次男にとってもまた、今日のようにテレビもつけずに昼から布団を敷いて寝るというのは初めての経験である。寝るのが下手な長男だったらあれこれ文句を言いながら結局夜まで起きていただろうと思う。次男はとにかく寝つきがいいので、1時間ぐらいはもぞもぞ何かを訴えていたがついに眠ってしまった。

私が子どもの頃は、鼻水なんかで休んだことはなかったし、休むとなったら朝から晩まで布団に寝かされていたので、天井の模様を眺めるぐらいしかやることはなかった。あの、昔の和室の天井にあった木目の模様。あれを見て、ご飯どきだけ起きることを許されてお粥やうどんを食べる。母がりんごをすりおろして布巾でしぼって作ってくれたジュースを飲み、また布団に戻る。何もしない1日は本当に長かった。我が家の子どもたちは、あんな退屈な時間を過ごしたことなんかないのではないだろうか。

ところであの、すりおろしたりんごをしぼったりんごジュース、子どもの頃は「りんごをまるごと1個使ってコップ1杯にしかならないのか」「もったいないなあ、だったら普通のジュース飲みたい」とか思っていたが、今考えるともったいない以上にものすごい手間がかかっている。自分が親になった今あれを思い出すと、母にひれ伏しながら謝りたくなる。

あの頃の母のように、次男が起きてきたら私もりんごをすりおろして布巾でしぼってみようか。「なにこれ、ふつうのジュースがいい」と普通に言われる場面しか想像できない。親の心子知らずとはよく言ったものだと思う。