むかしむかし、都心で働いていた20代の頃。
働き方改革なんて言葉はなく、長く働くのが偉いみたいな世の中で、パワハラもセクハラも日常茶飯事で、私は異動先の先輩女性に連日ピリピリされ疲弊していた。
ピリピリするくらいなら仕事を教えてくれたらいいのに、自分の存在価値を守ろうとしているのか何なのか、膨大な業務量をひとりで抱えて手放さないその人とふたりだけの部署に放り込まれた私は、朝から晩までピリピリしている人の隣で手持ち無沙汰という最高難度の感情労働を強いられていた。
自由になるのは昼休みのみ。でも、ストレスで食事も喉を通らない。そんな中、私が唯一食べられたのは、RF1という総菜屋の何とかいう名前のマフィンみたいなパンだけだった。甘すぎず大きすぎず、とりあえず血糖値も上がるしという感じで毎日それだけ食べていた。たぶん250円とか300円とかそのくらいの値段だったと思う。こんなパンひときれにしちゃ高いなと買うたびに思いながら、でももはやそれ以外のものを選ぶ気力もなく、毎日毎日昼休みになるとそれを買い、ビルとビルの間にあるベンチとすら言えない、植え込みの囲いなんかに座って食べていた。パンそのものはおいしかった。でもつらかった。
3ヶ月ほどたち、もう会社辞めようかな、と思っていたらリーマンショックが起きて、私のいた事業部では大規模なリストラが行われ、ピリピリしていた先輩は子会社に出向になり、私の感情労働は終了した。先輩は最終出社日にロクシタンのハンドクリームをくれて、目に涙を浮かべながら「あなたと一緒だったからがんばれた」的なことを言って去っていった。意味不明だった。
あれから15年以上たち、現在の私には息子がふたりいて、毎日飯ばかり作っている。朝は長男がごはん派、次男がパン派だ。
先日、起きてからパンがないことに気づき、ホットケーキミックスでマフィンを作った。朝から家じゅうにお菓子を焼くいいにおいが漂い、なんとも幸せな気持ちでひとくち食べると、あの頃食べていた300円のパンが瞬く間に脳裏によみがえった。
あのパン、ホットケーキミックスで作ってたんだ…!
いやもちろんそんなわけない(RF1さんすみません)。でも、食べるごとにあの頃の思い出がよみがえり、記憶って五感と結びついてるよなあと月並みなことを思ってしまう。
ちなみにマフィンはごはん派の長男をも虜にするほどおいしい。
ホットケーキミックスを開発した企業努力に乾杯である。