白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

20年前の私へ

先日、長男の学校で担任の先生との面談があった。昔で言う家庭訪問のようなものだが、先生が各家庭を回るのではなく、親たちが決められた時間に学校に行って先生と話をするのだ。

去年の担任の先生は、長男の学校に赴任したばかりでまだ2校目という若い先生で、春の面談と授業参観で会って「大変そうだなあ、親は全員年上だろうし子どもへの対応にも慣れてないだろうし」などと思っている間に休職してしまい、そのまま退職してしまった。

休職から退職までの4ヶ月間、秋の面談や授業参観で代理の先生から「本担任が休んでしまって申し訳ありません」的な言葉を聞くたびに、私は胸が痛んだ。私も、同じくらいの年齢の時に休職を経験したからだ。早朝から夜中まで働いて、土日もほとんど働いて、気がついた時には涙が止まらなくなっていて、2週間休職して復帰後も1年近く服薬して結局その会社は辞めてしまった。あの時の私の上司も、担当が休んで申し訳ありませんと謝っていたのだろうか。でも、悪いのはたぶん休んでしまった本人ではない。何らかのハラスメントでない限り、上司が悪いわけでもない。では会社?先生の場合は学校が悪いのか?あの時から20年経っても、誰が悪かったのかよくわからない。私はたまたま転職できて薬もやめられたが、先生は大丈夫だろうか。まだ若いのだ、すべてを何かのせいや誰かのせいにして、元気になってほしい。そんなことを思ったが、私にできたのは面談で謝る教頭に「心の不調は誰にでも起こりうることなので」と何も気にしていないという気持ちを表明することだけだった。

そんな経緯もあり、長男が2年生になる際には「次はきっとベテランの先生が担任になるんではないか」と勝手に想像していた。授業参観で見る限り、そして長男から話を聞く限り、今の小学校(まだ低学年しか知らないが)は昔に比べてかなり自由だ。積極的に発言したり、みんなの前で発表したり、そういう能力を高めようという方針があるのだろうとは思うが、それにしても自由だ。いきなり立ってランドセルから水筒を取り出して飲む子もいれば(小学校は水筒持参)、1回の授業中に5回以上トイレに行く子もいる。それは積極性とは違うんじゃないかとも思うが、先生も特に注意はしない。長男のクラスが特に自由なのかはよくわからないが、そんなクラスで毎日5~6時間、授業をしなければならないのだ。控えめに言って拷問だ。私には無理だ。だからきっと、去年の先生のこともあるし、今年はとりあえずベテランの先生を挟むんじゃないか。

そう思っていたら、着任したのは新任の先生だった。22歳。つい先日まで大学生だった若者だ。私の子どもであってもおかしくないほど若い。

その先生と、先日の面談で初めて会った。ものすごく一生懸命で、緊張している様子が手に取るようにわかる。新卒の時の自分を見ているようで、涙が出そうになった。がんばれがんばれ。そう思った。もはや長男の担任の先生というより、社会人になりたてのひとりの若者として見てしまっていた。めちゃくちゃ緊張しているこの子のために何かしてあげたい、そう思い、大きな声で挨拶をし、面談が終わるまでの間、常に笑顔で決して真顔にならないよう注意した(私の真顔からはきっと、想像以上の圧が出ているから)。何かあっても思いつめなくていいんだよ、おいしいものでも食べて、1日ぐらいずる休みして、細々とでもいいから続けてたら、歳をとるにつれて図太くなれるからね。若かった頃の自分に言ってやりたい言葉を、目の前の先生に対して心の中で繰り返した。

15分間の面談が終わり外に出ると、背中に汗をびっしょりかいていた。私はこんなに汗をかくほどあの先生の今後に幸あれという念を送ったのかと思うと笑えた。20年前、何ひとつうまくいかず苦しかったが、その経験のおかげで今こうして誰かに優しい気持ちを向けることができるのだとすれば、失敗や後悔も悪い面だけではないな。そう思いながら夕暮れの道を帰った。

 

今日いちばん楽しかったことは?

長男は寝るのが下手だ。新生児の頃から寝つきが悪く、2歳になる頃ようやく朝まで通して眠れるようになったが、それまでは長男を抱っこ紐に入れて上半身を起こしたまま寝たことも、夜中に起きて泣く長男とおさるのジョージを観て眠くなるのを待ったことも、数えきれないほどあった。初めての子どもだったので、こんなもんかとあまり苦にせずにいられたが、2年後に次男が生まれた時はそのあまりの寝つきのよさに驚いた。そして、そこでようやく長男のことを「ああ、この子は寝るのが苦手だったんだ」と理解することができた。

子どもたちと私で川の字になって寝ている今も、次男がスースー寝息をたて始める隣で「ねむれない」「どうしてねむれないんだろう、弟はいいなあすぐねむれて」とつぶやきながら、最低でも40分ぐらいは起きている。目をつぶって深呼吸したら?とか、楽しいこと考えたらいいかもよとか、いろんな提案はするものの、私自身も寝つきはいいタイプなので実際的な効果のある対策は提供できない。

でも、次男が眠ってから長男が眠るまでのその40分は、長男とふたりだけで話ができる貴重な時間でもある。学校であったちょっと嫌なことや、ゲームの攻略法の話、どうして戦争は起こるのかという疑問、今度の休みに白玉団子を作ってみたいという話、次のクリスマスに何を頼もうかという話。家族4人、あるいは次男と3人でいる時には出てこないような話題も出てくるので、寝つけない本人の辛さや睡眠不足になる心配はありつつも、それはそれでいい時間である。

そんな毎日の眠気待ちタイムに登場する話題として最も多いのは、長男からの「お母さん、今日は何がいちばん楽しかった?」という質問である。初めて聞かれた時は「ええー?」と聞き返してしまった。確か長男が3歳の頃だったと思う。いちばん楽しかったこと?そんなの考えたこともなかったからだ。

当時は3歳と1歳をほとんどワンオペで見ていて時間の余裕もなかったし、日に日にできることが増えていく幼児たち相手では常に危機回避が最優先で、楽しい瞬間なんて本当になかった。でも、何も楽しくなかったのかと言われると、そういうわけでもない。というか、自分の身に起こったできごとを解像度高く見つめる暇もないわけで、楽しいとか楽しくないとかは置いておいて、今日自分がやったことイコール子どもたちと一緒にいたこと、という大雑把な振り返りしかできない時期だったのだ。

そんなわけで、当初の私の回答は毎日「今日も長男くんと次男くんが元気で怪我しなかったこと」だったのだが、最初こそ「ふーん」とスルーしていた長男も、徐々に「お母さん、それは当たり前のことでしょ。楽しかったことは何だったの?」と的確なツッコミをするようになる。そこでようやく私は、毎晩のその質問に備えて、その日楽しかったことを寝る前までに考えるようになった。

おやつのヤングドーナツがおいしかったこと、長男くんと折り紙やったこと、長男くんと作ったドミノがめっちゃ上手に倒れたこと。そうやって楽しかったことを伝え合ううちに、子どもに対する愛情も、口に出さないと伝わらないのかもしれないなと思うようになった。折り紙もドミノも、私はたぶん笑いながらやっていたはずなのに、布団で改めてそれが今日の楽しかったことだと伝えると、長男はとてもうれしそうな顔をするのだ。

そんな長男が昨日、寝つけない理由を分析してくれた。曰く、シーンと静まり返っている状態が怖くて、目をつぶっていられなくなるらしい。へえー、じゃあYouTubeで静かな音楽でもかけてみる?と言って、ジブリの曲をピアノで演奏するプレイリストみたいなのを適当にかけると、「いいねえー、きれいだねえ」「これトトロの歌?」とか言いながら、なんと3分ぐらいで眠ってしまった。

ジブリすごい。ピアノすごい。たまたま眠くなっていたタイミングで音楽をかけただけなのか、今まで本当に静かすぎるのが原因で眠れなかったのか、どっちなんだかわからないので今日もまた布団に入ったら音楽をかけてみようと思う。そして、今日の楽しかったことを言い合うこと自体もお母さんにとっては楽しいことなんだと伝えようと思う。

 

自分の部屋がほしい

生まれ育った家は中古で小さくて、4畳半の子ども部屋には二段ベッドやピアノがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。今思うとどうやって収まっていたのか不思議だが、そんな二段ベッドの下の段でりぼんやジャンプを読みながら、私は自分だけの部屋を持つことにたいそう憧れていた。

小学6年生の頃、両親は家を建て替えた。私は個室をもらえたが、引き戸の和室だった。今度はいわゆるドアノブのついた扉があるフローリングの洋室に憧れた。

高校生になると、唯一のフローリングの子ども部屋を使っていた兄が上京し、ついに私に洋室が巡ってきた。机にベッドに大きな窓もある、地方の高校生にはじゅうぶん贅沢なその部屋で、夜な夜なラジオを聴きながら勉強した。次は自分ひとりだけの家でひとり暮らしをするのだ、そのために、絶対に上京するのだ。九州の端っこのお金のない自営業者の娘だった私には、親の負担を最小限にしながら、かつ親が誇りに思えるような進路、つまり東京の名の知れた国立大学に合格することだけが、その夢を叶えるためのただひとつの道だった。今振り返ってもあの時ほど勉強したことはない。そうやって私は、自由を手に入れた。

そんな経緯があるので、結婚して家を買った今でも、自分の部屋がないと悲しくなってしまう。自分だけの机と本棚がある部屋は、私にとっては人生をかけて手に入れた自由の象徴なのだ。家があるだけで幸せではないか、と怒られるかもしれない。その通りだとも思う。それでも、心の奥底では自分の部屋を欲してしまうのだ。

次男が幼稚園に入って時間に余裕ができた頃、私がまっさきにしたのは家の一室を自分の部屋にすることだった。安い机と椅子を買い、将来の子ども部屋として空けていた部屋に設置した。子どもが幼稚園に行っている間とか、寝ている間とか、少しでいいからここで自分ひとりだけの時間をすごしたい。そう切実に思っての行動だった。

でも現実は甘くなかった。幼稚園はコロナで度々休園になったし、夜は夜で子どもたちは眠っているように見えても私が隣に寝ていないのを敏感に察知して泣き、部屋にこもれるような時間はほとんどなかった。もともと子どもたちが家にいる間の仕事はダイニングテーブルでやっていたので、子どもたちの不在時だけ自室に移動するというのも面倒になり、結局その部屋は使わなくなった。そのまま今に至り、あの時に買った安い机と椅子は物置と化して埃をかぶっている。

そんなこんなを経てもまだ私は、自分の部屋をあきらめていない。子どもたちが高校生ぐらいになり、私がそばにいることを必要としなくなったら、その時こそまたあの自由を取り戻すのだ、と密かに思っている。そして取り戻した暁には、その自由をできるだけ長く謳歌したい。そのためにも、いつまでも健康で自立した生活をしなければと思っている。私にとって、自分の部屋がほしいという願望は、幼い頃から今でもずっと、自分を律してがんばるためのエネルギーになっているのだ。

 

かわいい7歳

この春から小学2年生になった7歳長男から最もよく出る学校関連の話題、それはY君の話だ。

Y君は長男のクラスメイトで、とにかくよく喋るらしい。授業中でもお構いなしで大きな声で発言し、先生に対しても平気で野次を飛ばし、叱られてもまったく意に介さずに文句を言い続ける。ちょっと気に入らないことがあると信じられないような声で騒ぐので、いつ自分がターゲットにされるかと思うと怖いし、体育なんかで同じチームになったら地獄。おとなしくて引っ込み思案な長男によるY君評は、こんなところである。

参観日や放課後の公園で実際に見るY君は、確かによく喋るし目立ちたがりな部分もあるが、おせっかいなくらい優しい面もあり、怖いというより単に我が家の長男とはタイプが違うだけかな、という印象である。

そんなY君には、何かやらかした際に毎回「それいけないんだよ」「先生に言うからね」と言ってくるSちゃんという女の子がいるそうだ。長男はこの半年ほどずっと「SちゃんがY君に注意したら、Y君がめちゃくちゃ怒ってすっごい大きな声で嫌なこと言った」「だからクラスでいちばん仲が悪いのはY君とSちゃん」という話ばかりしていたのだが、昨日の晩ご飯の時、驚いたような様子でこう話してくれた。

「Sちゃんってねえ、Y君とめちゃくちゃ仲悪いのに、好きな時もあるみたい!」「Y君が悪いこと言ったらすごい注意するのに、次の瞬間にはY君の冗談でめちゃくちゃ笑ってたりするんだよ」「どっちなんだろう、好きなのかな嫌いなのかな」

お母さんにもよくわからないけど、それはもしかすると、気になる相手にちょっかいを出したい的な太古からあるアレなのかもしれないね。と思ったが、そんなアレを我が家の長男はまだきっと知らないので「そうかあ、この子はまだそういう感情の存在すら知らないんだ、尊い」「男女の区別もまだぼんやりとしか認識してないもんなあ、尊い」「ツンデレも駆け引きもわからないんだからそんな場面見たってそりゃ謎だよね、そしてそれを私に話してくれる、尊い」と私の脳内は長男への愛情であふれてしまって何も言えなくなり、「本当だねえ、どっちなんだろうね、不思議だねSちゃんは」と言いあいながら一緒にもぐもぐご飯を食べた。

かわいいなあ。

生きていたい

仲のいい同級生のお母さんが亡くなった。急性の白血病で、診断されてからひと月だったらしい。子育て世代の親なので高齢者ではあるものの、亡くなるには早すぎる年齢だった。

子どもが生まれる前、私は欲にまみれていた。親しみやすい人でありつつも、一目置かれる存在でありたい、センスがいい人だと思われたい、そしてあわよくば、不特定多数の人に名前を知られるような何かを達成したいとも思っていた。今考えると滑稽なほど壮大で平和な野望である。

子どもが生まれると、不特定多数の人に名前を知られるような何かを、というジャンルの欲はなくなった。いや、なくなったのではなく、その欲を満たすために使える時間が減ったことによって欲自体をあきらめることができたのだと思う。

代わって強烈に生じたのが「死にたくない」という欲だった。正直、子どもを産むまで私は「死にたくない」と強く思ったことはなかった。「死にたい」と思うことがないのと同等に。その頃の私にとって、今現在生きていること、そしてこの先も生き続けることは、疑う余地すらない当たり前の前提だったのだ。

この子たちが幼いうちは絶対に死にたくない。できれば中年になるぐらいまでは元気でいたい。もっと言えば彼らが還暦になる頃まで生きていたい。高齢出産だったこともあり、その気持ちは日に日に強くなっている。

友人のお母さんも、子どもを産んで以降何十年もこんな気持ちを持っていたのではないかと思うと、親を亡くした友人に対して同じ子どもとして心を寄せると同時に、まだ比較的若い子どもたちを残して旅立ったお母さんもどんなに無念だったかと胸が痛む。必死で産んで大事に育てた子どもたちの未来を、もっともっと、彼らが年老いるまでずっと見ていたかったと思う。

ご冥福をお祈りします。

育児と効率

子どもを産んでから7年間、ずっと育児と効率について考えている。

子どもを産むまでは、まさに分娩の時ですら、効率がいいことがよしとされていた。破水から始まって最終的に1日半ほどかかった長男の出産時と、生まれる10分前まで自宅で陣痛をやり過ごした次男の出産時の話をすると、後者を「要領のいいお産」だと褒めるような口調で言う人が多かった。

でもその価値観は、出産直後に急転直下、まったくよくないものとされるようになった。授乳しながらテレビやスマホを見てはいけません。同時に2つ以上のことをこなす、それってつい先日まで、特に職場では、マルチタスクという言葉で称えられていませんでしたっけ?という場面が急激に増えた。

 

でも実際のところ、育児はそもそもが中断と横やりでできている。予定を組んで要領よく効率よくこなせる日なんてないに等しい。

子どもがある程度大きくなっても、例えば我が家であれば7歳と5歳になった今でも、朝、寝ている間に家事をしようと思っても、寝ぼけた子どもたちに抱っこをせがまれたり、機嫌よくテレビを観ている間に仕事をしようと思っても、隣に来て一緒に観ろと言われたり、そんなことは日常茶飯事だ。

お母さんは忙しいから今は無理。

その一言が言えれば、そしてそれがすんなり通ればどんなに楽か。4歳と2歳とか、5歳と3歳とか、子どもたちが言葉を理解できるようになった頃、よくそう思っていた。

でも、そうやって子どもたちの気持ちを置きざりにして他のタスクを優先しても結局、寂しさをこじらせた彼らにその後どっぷり時間を使うはめになる。世の中には聞き分けのいい子もいて、効率よく育児ができる親もいるのかもしれない。子育てをしながら資格を取ったり大学に通ったりできるケースもあるくらいだから、それは本当にそうなのだろう。

でも少なくともうちの子どもたちはそういうタイプではない。「後でね」「ちょっと待ってね」と言って子どもたちより他のことを優先すると、いつも後になって駄々をこね、時間も余計にかかるのだ。

そんな数年間を経て、今はもう、時間を効率的に使おうと思うこと自体をやめている。ソファで子どもを両脇に抱っこしながら観たいわけではないテレビやDVDを観たり、やりたいわけではないオセロやすごろくをしている時間が日常にたくさんある。子どもたちと一緒にいる時に片手間にネットを見たりしないよう、スマホにはスクリーンタイムを設定している(私は意志が弱いのだ)。幼児番組やオセロやすごろくそのものは特に楽しくはないが、子どもの時間を大事にしていると感じられると、自分のことも肯定できるような気がしてくる。

もう7歳と5歳なのに、そんなに抱っこをせがまれるものか?と思われるかもしれない。でも現実はそうなのだ。7歳だろうが5歳だろうが我が家の子どもたちは抱っこを求めるのだ。

 

自分のことだけを考えれば、他にもやりたいことはいくらでもある。生まれた時から実家が商売をしていて常にお金の不安があったので、自分は仮に結婚しても自力で食えるようになりたいと中学の頃から思っていた。でもいろんなことがあり、今は自分で稼げていないので、子育ての合間を縫って仕事を再開すべくずっとがんばってきた。今も細々とはがんばっている。

ただ、「昔のトラウマを克服したい」「目標を遂げたい」という自己満足のために時間を確保することに躍起になるのは、今はやめている。産後7年経って、ようやく無理せずその気持ちをあきらめられるようになった。

今となっては、もっと早くそう思えていれば自分も楽だし子どもにもよかったのにとも思うが、子どものいなかった人生と子どものいる人生が、私という人間の中ではようやく最近、折り合いをつけたのだと思う。

 

私が幼かった頃、母はいつも忙しそうで、乳児でもない子どもを抱っこしてのんびりしていた姿など記憶にないし、なんなら椅子に座っていたのも食事の時ぐらいだったような気がする。食洗機も乾燥機もない暮らしで子どもは3人いたし、母に悪気はまったくなかったと思う。だが、常に走り回っている母を見るにつけ、そして常にお金のない家の状況を察するにつけ、私はなるべく親に負担をかけたくないと考えるようになり、少なくとも自分に関することについては親に迷惑をかけないように、いつも気を張って気を遣って生活するようになった。

だから大学に合格して一人暮らしを始めた時の解放感は大きかったし、その気持ちは今でも続いていて、ドラマや小説で時々目にする「実家に帰るとホッとする」「母親の前では本音が出せる」という描写も頭ではわかるが心から理解はできないし、実家に帰るのはまだ少し気が重い。

 

甘えたい気持ちやスキンシップしたい気持ちを子どもの頃にしっかり満たされたらどういう人に育つのか、私は自分の子どもたちのこれからを楽しみにしている。若い頃の私のように、息切れするほどがんばることはできなくてもいい。暮らしの中にほっとする時間を当たり前に持てるような、そんな人になってくれたらとてもうれしい。

 

新学期の風景

長男は土日に習いごとをしている。

土曜はかけっこ教室、日曜はプログラミング教室。

 

ほとんどの場合、土曜日は家族4人で出かけて習いごとが終わるのを待っていて、

日曜は父子3人で行ってもらって私は自宅でひとりの時間をもらっていたのだが、

昨日は一緒に行き、夫と次男と3人でスターバックスに入って教室が終わるのを待った。

ひとりの時間は喉から手が出るくらいほしい。

でも実際家にひとりになると、そしてそれがよく晴れた日中だったりすると、

何か悪いことをしているような、無駄な時間を過ごしているような気がして、

どうにも落ち着かず、結局満喫できないのだ。

 

スターバックスで、夫は仕事、次男はタブレットで遊び、私は本を読んだ。

いかにも現代の裕福な核家族という雰囲気で、普段なら周りの視線が気になるが、

スターバックスには似たような家族が複数いるのでそこまで気にせずに済む。

 

冬休みに読もうと思って読めなかった向田邦子のエッセイを読む。

戦時中の家族での食事風景や年老いた母親に対する複雑な心境を描いた文章に、涙腺が緩む。

 

ここに書こうと思っていた子どものかわいい言い回しがいくつもあったのに、

いざ書こうとすると思い出せない。思い出せる分だけ書く。

 

微炭酸らしきジュースを飲んだ次男

「これ!おとなのジュースだ!ビリって来てガラスががしゃーんって刺さる!」

 

たばこの話をしていた時の長男

「たばこってさあ、火をつけるんでしょ?そこをあむってするの?口に火をいれるの?」

 

今日は月曜日。

長男は1年生のあいだずっと私と一緒に登校していたが、

今朝からは途中まででいいと言って、大きめの道を渡ったところからはひとりで歩き、

数メートル先で友達と合流して登校していった。

私と別れてから数歩ごとに振り返って手を振り、角を曲がる瞬間にも振り返って手を振った。

 

次男も今日から幼稚園が始まったが、9時半に連れて行って11時半に迎えに行くので、

親にとっては行ってないも同然である。

が、次男本人にとっては、行くと行かないではやっぱり全然違うらしい。

幼稚園の玄関で緊張した様子で靴を脱いだら、勢いをつけて走り出し、

そのまま一度も振り返らずに階段を駆け上がっていった。