白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

りんごジュースの思い出

子どもが寝入る瞬間の、目を開けていられなくなってまぶたが閉じていく様を見るのが好きだ。おでこをなでると現れる、生え際に並んだ細いうぶ毛が好きだ。赤ちゃんの頃から変わらない、三角にとがった上のくちびるも好きだし、その三角に対してまっすぐすぎる下のくちびるも好きだ。その口が寝ている時にもぐもぐ動くのを見ていると、このくちびるともぐもぐ動くのは何歳まで見られるんだろうと切ない気持ちになる。

今日は次男が風邪をひいて幼稚園を休んでいて、先ほど早めの昼寝に突入した。コロナ禍ではちょっと鼻水が出ているだけでも休まなくてはいけなかったし、ひとり休んだら兄弟も連帯責任で休みなさいというルールだったので、本格的に具合が悪くて休むというのも、兄弟のどちらかひとりだけが休むというのも、私にとっては初めてのできごとだ。

鼻水だけで休んでいた頃は、休んでいても元気を持て余して家じゅうを走り回っていたので、次男にとってもまた、今日のようにテレビもつけずに昼から布団を敷いて寝るというのは初めての経験である。寝るのが下手な長男だったらあれこれ文句を言いながら結局夜まで起きていただろうと思う。次男はとにかく寝つきがいいので、1時間ぐらいはもぞもぞ何かを訴えていたがついに眠ってしまった。

私が子どもの頃は、鼻水なんかで休んだことはなかったし、休むとなったら朝から晩まで布団に寝かされていたので、天井の模様を眺めるぐらいしかやることはなかった。あの、昔の和室の天井にあった木目の模様。あれを見て、ご飯どきだけ起きることを許されてお粥やうどんを食べる。母がりんごをすりおろして布巾でしぼって作ってくれたジュースを飲み、また布団に戻る。何もしない1日は本当に長かった。我が家の子どもたちは、あんな退屈な時間を過ごしたことなんかないのではないだろうか。

ところであの、すりおろしたりんごをしぼったりんごジュース、子どもの頃は「りんごをまるごと1個使ってコップ1杯にしかならないのか」「もったいないなあ、だったら普通のジュース飲みたい」とか思っていたが、今考えるともったいない以上にものすごい手間がかかっている。自分が親になった今あれを思い出すと、母にひれ伏しながら謝りたくなる。

あの頃の母のように、次男が起きてきたら私もりんごをすりおろして布巾でしぼってみようか。「なにこれ、ふつうのジュースがいい」と普通に言われる場面しか想像できない。親の心子知らずとはよく言ったものだと思う。