白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

読書記録/『ミシンと金魚』永井みみ(集英社)

最初に読んだのは、小説そのものではなく受賞のことばだった。

 

「ほんとうは、作家になりたかった」から始まるその文章は、とてもシンプルだ。かつ、筆者と同じように数年前まで小説を書こうとしていた私には、自分の気持ちを言い当てられたような内容で、ずしんと心に残った。

 

だから今月、子どもたちの学校や幼稚園が始まって1時間だけの自由時間が手に入った初日、急いでこの小説を買いに街の大型書店に行った。そして、細切れ時間をつなげて読むのではなく一気に最後まで読み通したかったので、数日寝かせたあと、先週の金曜日の夜にようやく読んだ。

 

人には内面がある。口数の少ない人でも、みんな何かを感じ、考えている。自分以外の人間にも感情や考えがあるというそのことを、私は本当にわかっているだろうか。たぶん、わかっていない。もちろん、理屈としては当然わかっている。でも、生きている間に自分と関わる人たちの、それぞれのその中身を細かく正しく想像することは、これから先もずっとできないだろう。そして同じく私の内面も、きっと死ぬまで誰にも想像できない。絶望というか諦めというか、そんな気持ちを抱きながら読んだ。

 

親友でも家族でも、完全にわかりあうなんて無理だ。今ではそう思うが、私も30代半ばまではわかりあえると思っていた。わかりあえていると信じて疑わなかった相手もいた。でも結局、そんなのは単なる思い込みだ。わかりあえていなかったという事実に思い至るようなできごとを避けられる余裕があるうちは、思い込める。それだけのことだ。

 

わかりあえないことは確かに悲しいが、わかりあえないと気づいた後も、関係は続く。人生も続く。自分以外の誰かのことは、自己満足を承知の上で想像するしかない。たぶんみんな、わかりあえないまま、わかろうとしたまま、そして少しずつ忘れながら死んでいくのだ。

 

そんなことを考えながら読んだ。主人公の一人称の語りが生き生きとリズムよく、気がついたら読み終えていた。ラスト、なぜか清々しいというのか「よかったねえ」みたいな気持ちになるのが不思議だった。