白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

読書記録/『暇と退屈の倫理学 増補新版』國分功一郎(太田出版)

何年も前からずっと読みたいと思っていた。でも、育児の合間の時間をつなげて読む私のスタイルでは何年かかっても読み終えられない気がして買えなかった。そうこうしているうちに、この増補新版が出た。とりあえず買うだけ買っておこう、積読万歳!と文字通り積み上げていたら、今度は文庫版が出た。それでようやく、新年度になり子どもたちが学校や幼稚園に行き始めたこの4月から読み出した。

 

独身の頃だったら土日や連休を使って一気読みしただろうなと思う。それくらい面白かった。残念ながら今の私には一気読みはできないが、細切れの時間をつなげて読んでもすごく面白かった。

 

なぜ人は退屈するのか?

何をしてもいいのに、何もすることがないような気がするのはなぜなのか?

 

これは家事と育児を担当する生活をするようになって以降、私も数えきれないほど抱いてきた感覚だ。本書によれば、退屈は定住化によって発生したと考えられる。かつては移動しながらの狩猟生活をしていた人間が、気候変動等の影響により、決まった土地に定住するようになった。生活拠点を移すたびに環境に適応する必要があったそれまでの暮らしに比べると、定住後の生活は刺激が少ない。つまり、脳への負荷も低くなる。そのことが、人間の持つ潜在能力に余剰を生んでしまった。それにより、人は退屈を感じるようになったというのだ。

 

これには納得だった。育児もまったく同じだと感じた。一人目の出産後は、何もかもが初めてで、自分の一挙手一投足が子どもの生死を左右しているようで、まったく気が休まらなかった。退屈する暇どころか寝る暇すらなかった。

 

ところが、二か月、三か月と経つうちに、慣れる。ちゃんと生きているか不安、という気持ちはなかなかゼロにはならなかったが、そんなに怖がらなくても大丈夫だという安心感は日に日に増していった。

 

一人目でこうなのだから、二人目の産後はなおさらだ。私の場合、作業が二人分になる大変さはあったが、不安は各段に減った。そしてある日、思った。下の子に授乳しながら上の子とままごとをしている時、下の子を抱っこで寝かしつけながら上の子と幼児番組を観ている時、「ああ、暇だ」と。

 

本書のメインとなる上記の問題はもちろんのこと、それ以上に私がなるほどなと思ったのは、退屈と気晴らしが絡み合った安定した生を生きる人間が、突如何らかの決断をし、その決断の奴隷となるという現象についての考察だった。人が嬉々として残業したり、いきなり資格を取ろうとしたりするのはなぜなのか?

 

これも私にとっては非常に身に覚えのある現象だ。まさに本書で事例として挙げられていたが、就職活動中に資格取得の勉強を始めてしまう問題。私の場合はそれにとどまらず、新卒で入った会社に勤めている時は翻訳学校や英会話学校に通ったし、二社目の時は税理士試験に挑戦したし、つい最近、下の子が幼稚園に入った年にも何か手に職を付けた方がいいのではという強迫観念に苛まれた。ずっとやっている。書いておいてなんだが、改めて列挙すると本当に愕然とする。私、ずっと同じことやってんじゃん!!

 

本書でのこの問題への答えは、「不安だから」そして「人間らしい暮らしを楽しむスキルがないから」である。返す言葉もありません。

 

私に必要なのは、資格や手に職ではないのだ。不安をこじらせず、余裕を楽しんで暮らしていくことなのだ。

 

とはいえ、これからも私は何度となく不安になるだろう。わかりやすい資格に飛びつこうとすることも、少なくともあと5回はありそうだ。

 

そのたびにこの本を思い出そうと思う。