白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

読書記録/『佐野洋子対談集 人生のきほん』佐野洋子、西原理恵子、リリー・フランキー(講談社)

相変わらずやる気がない。

 

やる気がなくても食うに困らないなんて幸せ者だよ、贅沢だな、というツッコミが脳から絶えず入るので、誰にも相談できない。

 

産後、小説が読めなくなった。たまにハマって一気に読み通すこともあるが、そういう小説にはめったに出会えなくなった。

 

子供の頃、小説を読んでいると母が決まって「私はどうしても小説は読めない」、「全然面白いと思えない」、「現実が大変すぎて作り物を読む気になれない」というようなことを言い出して、そのたび私は「なんで子どもが楽しんでるものにそんなネガティブな言葉をかけるんだよ…」と心をくじかれていたが、今ならあの頃の母の気持ちがわかる。本当に、まったく面白いと思えないのだ。他にやることがなくても、忙しくなくても、読んでいる時間がもったいないような気がしてくる。金銭的に困っていない今の私ですらそうなのだから、バブル崩壊直前に家を建て、さらには家業も傾いて、毎月のように借金が増えていく家庭を必死で回していた母に、フィクションを楽しむ余裕があったはずがない。

 

そんなこともあり、最近はエッセイや対談集が好きだ。

自分のことを語る時、そこはかとない自慢が漂うのは万人に共通のしかたのないことだと思うので、その自慢が自分の感覚にフィットするというか、許容範囲に含まれる人のエッセイや対談は楽しく読める。

 

この対談集の中で佐野さんが何度か言っていた、「仕事は食うためのもの、育児の方が自分にとっては大仕事でありかけがえのない体験だった」という言葉が印象に残った。彼女にとってはそうなのかもしれないが、私から見たら、それは絵本作家として唯一無二の存在になった後だからこそ、持てる者の余裕があるからこそ出る言葉なのではないかと感じた。

 

浅ましいと思いつつ、私はまだ、何か自分で食えるような仕事を手に入れたいと思っている。育児は確かに大仕事だが、それだけでは落ち着かない。あと10年もすれば飯炊きと洗濯くらいしか子供にしてやることは残っていない。その時、私は53歳。私には、存在意義を何も持たない53歳を耐えられる自信がない。強欲なのかもしれないが、私は仕事がほしい。

 

そんなことを考えながら読んだ。