セロトニンが見当たらない
理由もないのに涙が出る。つまりセロトニンが不足している。
大学時代の後半くらいから、特に冬になると気分が落ち込むようになった。
1回目は就職活動の冬。全然内定がもらえなくて摂食障害になった。
2回目は社会人3年目の冬。激務すぎて休職し、心療内科に通った。
3回目は社会人7年目の冬。炎上プロジェクトに放り込まれて会社を辞めた。
4回目は2度目の産後の冬。2歳0歳のワンオペ育児に仕事が重なり坂口恭平さんに電話した。
5回目が今回。
今は渦中なので明確な理由がわからないのだが、わからないなりに考えるに、
・結果の出ないワンオペ子育て6年目(同じこと100万回説明しても伝わらない)
・北海道の寒さ(寒いの嫌い)
・寒いの嫌いなのに良い母ぶって無理して雪遊びに付き合ったことによるストレス
・繰り返される子どもからの食事への文句
・ちょっと叱ったら即泣く子どもへの困惑
・叱らず諭すを目標にしているのにたまに叱ってしまう自分への嫌悪
の積み増しによるもののような気がしている。
不思議なのは、こんなことには既に何年も悩んできているし、悩むたびになんとかやり過ごしてきたのに、なぜ今回だけ涙が出るほどつらいのかということだ。閾値を超えたのか?
しかも、そもそもこんな悩み解決するわけはなく(子どもとはいえ自分とは別の人間なので、基本的に何をしたって変えられないから)、解決しようと思ったら
・気にしない(認知を変える)
・誰かに愚痴を聞いてもらう
くらいしか方法はない。
そう!!
それくらいしか方法はないのに、私には愚痴を聞いてもらえる相手がいないのだ。
涙まで出てくる原因はそれかもしれない。
本心を話せる友達はいる。多くはないが、何人かいる。
でも、みんな忙しいのだ。子どももいない。
金を稼ぐ必要もなく専業主婦として子育てをしているだけの私の悩みなんて、彼女たちには話せない。彼女たちに嫌われたら本当に私個人は世の中から消えてしまって、妻として、あるいは母親としての私しか残らない気がして怖くて話せない。
夫に話せばいいのかもしれない。
でも、一人目の産後に愚痴のようなことを言った時、「俺ぐらい稼げるなら子育てと代わってやるよ」的なことを言われたのが忘れられない。その時は売り言葉に買い言葉だったのかもしれないなと今は思う。許していないというわけではない。私も似たような、自分では気づいていないけど相手にとっては傷つく言葉を言ったかもしれないし、そんなのは長く一緒に暮らせばお互い様だという気持ちもある。でも、だから忘れて弱みを見せられるかというと、話は別だ。もしまた論破されたり馬鹿にされたり指図されたりしたらと思うと、何も言わない方がましだと思ってしまう。
はあ。
セロトニンってどうしたら戻ってくるんだろう。
春まで戻ってこないのかい。
戻っておいでよ。