白熊日記

7歳と5歳を育てる母親が、日々考えたことを書いています。

読書記録/『いのっちの手紙』斎藤環⇔坂口恭平(中央公論新社)

坂口恭平さんのことを知ったのは、たぶんもう10年くらい前だ。

 

職場の先輩が熊本移住前の坂口さんと知り合いで、面白い人がいるという話を聞いたのが最初だったような気がする。でも、もしかしたらそんな記憶は私の捏造で、『独立国家のつくりかた』を読んだのが最初だったのかもしれない。

 

とにかく私はあっという間に坂口さんの書く文章に夢中になった。理由は今でもうまく言語化できないが、読んでいると音楽を聴いている時のように心地よかった。こういう自由な生き方が、自分にもできるのかもしれないと思えた。それは他のどんな本からも得られない、静かに胸が躍るような明るい快感だった。

 

当時坂口さんのホームページには数年分の日記が掲載されていて、『独立国家のつくりかた』を読み終えた後はその日記を古い順に全部読んだ(ちなみにこの日記はその後『坂口恭平のぼうけん』などの書籍として出版されている)。その結果、私は勉強していた税理士試験にもまったく身が入らなくなり、その年の試験には当然のように落ちた。それくらい心をつかまれたし、あれから10年以上たつ今も、こうして新しい本が出ると気になって、育児の合間の時間をかき集めては読んでいる。

 

坂口さんは2012年から自分の携帯電話の番号をインターネット上に公開し、死にたくなった人が相談できる窓口としての「いのっちの電話」という活動を続けている。公の機関としてではなく、完全に個人的にだ。しかも、ご自身も双極性障害を患っているにもかかわらず。

 

私も以前一度だけ、坂口さんに電話をかけたことがある。2歳と0歳をワンオペで見始めて半年ほどたった頃だ。何もないのに涙が出るようになり、毎日泣きながら育児をしていたが、ある日突然思い立って電話をかけてしまった。3コールくらいですぐにつながったが、驚きと安心で泣いてしまい、何も話せなかった。でも、電話をすれば出てくれる人がいるのだと思えて、ものすごく心が軽くなった。

 

何秒黙っていたのか覚えていないが、しばらくすると坂口さんは「あなたは人に相談するのが下手なだけなんじゃないかな、だから大丈夫だと思うよ。何かあったらまた電話して」と言ってくれた。私はありがとうございますとしか言えなかったが、その数分のつながりで今日までの育児生活も乗り越えてきた。

 

『いのっちの手紙』は、そんな坂口さんと精神科医斎藤環さんとの往復書簡だ。

 

坂口さんはここ数年、畑仕事やパステル画、料理、編み物などの日課をこなすことにより、自らの双極性障害を克服しつつあるらしい。精神科医として臨床にも当たってきた斎藤環さんに言わせれば、一般的にはありえないその過程は非常に興味深いものであり、どのようにして坂口さんが病から回復したのかを知り、同様の症状に苦しむ他の患者さんにも適用できるのかを考えたい。そんな経緯でこの本が生まれたそうだ。

 

前半は坂口さん独自の双極性障害への対処法や、いのっちの電話の具体例・方法論について、後半は坂口さん自身にとっての創造と生きることとの関係について書かれている。書評のように上手にまとめたらきれいだろうなとは思うものの、心に残る箇所が多すぎてうまくまとめられないので、特に好きだと感じた部分を一つだけ引用したいと思う。

 

僕のことを天才と言ってくださる方はいるのですが、まったく違うと確信してます。能力はたいしてありません。…(中略)…僕にとって、名作を残すことが人生の目的ではありません。僕の目的は寿命を全うすることだけです。だから死ぬまで面白いと思いながら、模倣をしつつ、作ることを継続していく必要があるんです。

 

すべての分野であんなに気持ちのいい作品を生み出す坂口さんが天才でないわけがないのに、ご本人にとっての創作はあくまで「生きる」ための手段であり、模倣の結果であるという。にわかには信じがたいが、きっと坂口さんが言うのであれば本心なのだろうなと思わされ、かつ「あの坂口さんですらこういうスタンスなのだから、何者でもない私もがんばろう」と思わされる、風通しのよい爽快な文章。こういうところが私は大好きだ。

 

どうかこれからもできる限り長く、作品をつくり続けてほしい。